Translate

2013年1月23日水曜日

『嘔吐』:サルトル

立て続けに日本文学だったので、たまには洋物でいきますか。

サルトルは多分、哲学者として有名だ。確かに哲学は素晴らしい。哲学的主著『存在と無』はその難解さと浩瀚さにもかかわらず、夢中になってあっという間に読み下してしまった。


だがここで紹介したいのは哲学よりも小説だ。サルトルは哲学以上に小説が素晴らしい。『嘔吐』『自由への道』が有名で、戯曲にも「地獄とは他人の事である」という一節で有名な『出口なし』などがある。中でも『嘔吐』は、孤独な男の思索をモノローグとして綴った小説で、個人的には一番好きである。

勿論、小説にも哲学的要素は多分に含まれている。主人公のロカンタンは、何気ない日常からふと哲学の問題を考える上でのヒントを「肌で感じる」のである。

孤独者とは、始終心の中で呟き続けているもので、それを延々と書き連ねているスタイルは、一見退屈で冗長に見えるかも知れないが、実はもの凄くリアルだと思う。そして呟き続ける日常の中でほんのたまに、ふと思いがけず哲学の問題に対して答えが出てきたりするのである。そしてそのとき、主人公は「吐き気」を感じる。この吐き気が実は実存というものへの意識なのである。

物事の裏側には、何もない。ただそれがあるだけである。過去は存在しない、現在がただ目の前に広がっており、それ以上でも以下でもない。それが全てである。何にも「意味」なんかないのだ。その意識が通奏低音のように小説全体に絶えず響いていて、内なる反抗を煮えたぎらせているようである。

サルトルと言えば、ノーベル文学賞を辞退した事でも有名である。それくらい既存の物差しで自分の価値を測られる事が嫌いな人だったのだろう。元来、哲学者にはそんな人種が多いように思うが、そういう意味ではサルトルは生粋の哲学者であるのかも知れない。いや、よく考えてみれば、常識をどこまでも疑い、精神の自由を求める事が哲学なのであるから、反抗こそが哲学ということにもなるようにも思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿